hue and cry

Tamas Wellsインタヴュー for “Metropolis”

来日公演を来週(!)に控えたタマス・ウェルズの最新インタヴューが日本のイングリッシュ・マガジン「Metropolis」のウェブに掲載されました。Metropolisの許可をいただき、日本語訳をこちらに掲載します。おもしろい内容なので、ツアー前にぜひお読みください!


タマス・ウェルズ

ブロードバンド時代にあえてスローな道を選ぶオーストラリアのミュージシャン兼援助活動員 
 
ますます加速するこの現代の世の中において、タマス・ウェルズはもっとゆっくり進むことを我々に提案する。2004年にデビューしたこのオーストラリアのシンガー・ソングライターは、それ自身で物語を語り、尊敬すべきアコースティック・フォークの伝統に根本的な質問を投げかけるような、素朴かつ静謐な曲を生み出してきた。その同じ年、ウェルズはボランティア活動のため、ミャンマーを訪れた。その経験は彼を大きく変えることになり、2006年にHIV/エイズ教育プロジェクトの業務に就くために彼は再び同地を訪れ、そして今に至る。ミャンマー滞在中もウェルズは作曲を続け、時おりツアーに出かけている。メトロポリスは、新作Thirty People Awayを携えて短い日本ツアーに出かける直前の彼に話を聞くことができた。
 
どうしてミャンマーで働こうと考えたのですか?
 
僕は2004年に数か月、援助活動員としてミャンマーを訪れた。ミャンマーの文化を素晴らしいと思う一方で、ここの人たちの貧困と苦難が本当に悲しく、抗いがたいものだということも知ってしまった。僕がここで働き続けることで何らかのインパクトを与えられるかどうかはわからなかったけど、自分はこれに関わっているべきだと思った。そして、そのことを楽しんでもいるよ。
 
ミャンマーでの生活があなたの音楽にどう影響したかを教えてください
 
世界の音楽シーンというものから完全に孤立しているということがまず大きいね。僕が最初にここに来た頃はインターネットなんてほとんど整備されていなくて、オーストラリアとか他の場所で起こっていることから完全にシャットアウトされた気持ちになったよ。それがどういうことかっていうと、自分の音楽を作る楽しみに没頭できるということ。他の人たちがどういうものを作っているかなんてことを気にせずにね。ここでの生活は、オーストラリア(あるいは、日本)のそれよりもずっと緩慢なんだ。それは、クリエイティビティという意味ではとても役に立つことだよ。
 
どうしてあなたの音楽はアジアの人たちの琴線に触れるんだと思いますか?
 
うん、オーストラリアとヨーロッパ以外では、僕らのCDはおもにアジアで発売されているね。自分でもどうしてだろうと思う。たぶん、アジア文化の審美眼とか控えめなところに通じるからなんじゃないかな。僕らが作ってきたアルバムはとても簡素で静かなものだ。きっと、それがアジアの人たちに、たとえば、ラテンアメリカの人たちよりも?ははは、わからないけどさ、よりアピールするんだろうね。
 
アジアのファンからどういうコメントをもらうんですか?
 
ファンの人たちが自分たちのコメントをグーグル翻訳にかけて、僕らのウェブに載せてくれるのを楽しみにしているんだ。おかしなコメントもたくさんあるんだよ。たしかこういうのあったな、「ひどい魔法が起こるだろう!」って。日本語では詩的な表現なのかもしれないけど、英語でそう言われるとちょっと心配になるね。
 
あなたの新作Thirty People Awayはどういう経験に基づいて作られたのか教えてください
 
ニューアルバムは2009年から2010年にかけて、ミャンマーで作った。個人的にも、そして国全体にとっても悲しい時期だった。だから僕は、ここの文化がいかに美しいもので、かつ同時に、水面下では計り知れない恐怖と悲しみが存在しているのかということを反映させようと思ったんだ。わかってもらえるかな。より具体的には、Thirty People Awayは、悲劇を実感できるほど近くにいながら、それを本当に理解することはできないほどの距離を感じるということを歌っているんだ。
 
タイトルトラックの不穏なプロモーションビデオのアイデアはどこから?
 
ビデオのコンセプトは完全にイタリア人の監督、ファブリツィオ・ポルペッティーニによるものだ。あの曲の彼なりの解釈だろう。気に入っているよ、でも自分がほんとうに理解したかどうかはちょっとあやしいけどね。
 
アルバムのどれか一曲について、どういう風に作曲したのかを教えてください
 
作っていて楽しかった曲のひとつがThe Chemicals Took Their Tollかな。過去にドラッグをやりすぎて、仕事に就くことができなくなってしまった僕らのミャンマー人の友達について、短い物語を書いたんだ。曲のエンディングのピアノとギター、バンジョーのコンビネーションを録音していたときはほんとうに楽しかったな。ただ一つ、メルボルンの僕らのチェロ奏者が、まさに録音をしようとしていた日の朝に、15000ドルのチェロを落として壊してしまったんだ。幸運なことに保険には入っていたけどね。僕らは代わりに500ドルのチェロを借りて録音する羽目になった。彼女はうまく弾きこなしてくれたよ。
 
Thirty People Awayは前作に比べてどう進化しましたか?
 
Thirty People Awayはもっと沢山の楽器を使って製作しようと思った。前作は基本的にギターとバンジョーだけで作ったからね。今回のは音楽に幅広さが出たはずだよ。
 
あなたの尊敬するミュージシャンと、彼らにどういう影響を受けたかを教えてください
 
何年か前に、ランバート&ナッティカムの1969年のアルバムをとても気に入ったんだ。彼らは自分たちの声とギターがそれだけで自分たちの作る曲に十分だということに誇りを持っていた。たくさんの楽器なんて必要なかったんだ。最後には彼らはコカインのやりすぎで自分たちの音楽を破壊せざるをえなくなってしまったんだけど(そのことは尊敬には値しないけど)、彼らがその飾り気のない音楽に誇りを持っていたということについては本当に尊敬するよ。
 
NGO職員とミュージシャンの二つのキャリアについてどうバランスを取っているのですか?
 
ミャンマーでは今とてもいろんなことが起こっていて、とてもついていけないぐらいだ。音楽を演っている時間なんてほとんどないんだ。だから、日本に行ってファンの皆さんの前で演奏することはとてもリラックスできるし、楽しみにしているよ。
 
東京でのコンサートではどういうことを楽しみにしていればいいでしょう?
 
「ひどい魔法」が起こらないことを願っているよ。でも少しはそういうこともあるかも。お客さんを奇妙な動物に変身させてしまうとか、演奏中に透明人間になるとか? 東京に行くのをとても楽しみにしている。ツアーは僕たちにとっては特別なものなんだ。いつもできるというわけじゃないからね。みなさんも同じように楽しんでくれればいいな。
 
interview by Dan Grunebaum (翻訳:yas
インタヴュー原文;http://metropolis.co.jp/arts/music/tamas-wells/

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