hue and cry

Tamas Wells Japan Tour 2011 後記(前編)

12/6(火)

12/5、月曜日。タマス・ウェルズからメールが。「ごめん。ぼくもいま知ったんだけど、日本に着くの、水曜じゃなくてあしたの夕方みたい!」と。どうやら中国のレーベルがチケットを手配したので、勘違いがあったようです。

空港まで迎えにいく都合もつかなかったし、もう何度も来てるので、今回は渋谷まで自力で来てもらうことにしました。

ほんとうなら9月末に行われる予定だったツアー。ミャンマーのVISAの都合で延期となったことで、前回からちょうど1年後におこなわれることとなりました。1年ぶりに会う、タマス・ウェルズ、キム・ビールズ、アンソニー・フランシスの3人の、永遠の人懐っこい笑顔。「去年よりも寒くてうれしいよ」と、タマス。

夕食は天ぷら。もしかしたら遠慮してるだけかもしれないけど、このひとたちは食に対する貪欲さがあまりなくて(お好み焼き以外)、「なんか食べたいものある?」って訊いても、「日本の食べ物はなんでもおいしいから任せるよ」といつもそればかり。何かリクエストしてもらったほうが助かるんですけどね。いままで食べたことないもの・・・ということで、結局、天ぷらにしました。クリス・ガノが来日したときにも行ったなぁ。

VACANTでのライヴのMCで話していましたが、天ぷらのつゆをお茶と間違えて飲むという今回のツアーで最初の天然ぶりを発揮したタマス。前回のツアー後にタマスとキムにはそれぞれ子どもが生まれたので、子どもの話や共通の知り合いの話、そして中国ツアーのことなどを。中国の音楽市場はいま急速に変化していて、そんな流れのなかでタマス・ウェルズの音楽が完璧にハマったことはほんとうに幸運でした。公演によっては800人くらい動員できるほどで、中国ツアーの成功のおかげでこうして日本にも来てもらえるわけで、ぼくらにとってもそれは幸運なことなのです。みんな仕事があって長くツアーできないので、土日の集客しやすいスケジュールが中国ツアーに取られるのは仕方のないことではありますけど。


12/7(水)

15時ごろにぼくらのオフィスにやってきた3人はやけに元気でした。中国ツアーは5日間の日程のうち、毎日ライヴがあり(着いた日の夜にもあったらしい!)、毎朝5時起きで移動しないといけない(なにせ広いので)というハードなツアーだったので、オフというものがこれほどひとを元気づけるのかということを熱弁されました。関係ないですが、バンドは中国ツアーを経験すると大きく成長するみたいですよ。常識の枠をこえたことがいろいろと起きるので、ちょっとやそっとのことでは折れない精神力を手に入れれるそうです。

「こんやどこかでシークレット・ライヴできないかな?」という彼らの突然のおねがいにぼくや先輩は振り回されたわけですが、結局ふさわしい場所が見つからなかったため、「代わりにセッションを撮影してネットにアップするのはどう?」というぼくの提案を彼らは喜んでくれました。

「ホテルに戻って撮影場所を考えてくるよ」と、彼らの熱意にぼくは正直かなり困惑しました。いきあたりばったり。ある意味ではツアーの醍醐味です。夕方、彼らを迎えにいくと、タマスの部屋に集まって練習中。「すごく狭い場所で撮影したい。電車のなかとかタクシーのなかとかエレヴェーターとか」。電車は絶対むり、タクシーはお金がかかる。というわけで、とりあえずホテルのエレヴェーターで撮影して、途中でスタッフに止められたのはまあ、当然のことですね。その後、ホテルをあとにし、渋谷の某バーで撮影させてもらったのですが、そのときの模様は以前ブログで紹介したとおりです。




12/8(木)

天気はあいにくの雨でしたが、雨の日のタマス・ウェルズもまた格別。日本ではたぶん15回くらいライヴを行なっていますが、雨だったのはぼくの記憶ではこれが2度目のことで、さらにこれまでで一番寒い日でした。30℃を下回ることのない熱帯の国で長年過ごす彼にとっては貴重な経験です。

でも、「こんどは雪がみたい。北海道にいってみたい」とか言っちゃうのです。この男は。「いつか極地をツアーしてみたいね。モンゴルからシベリアへいって、それから北海道・・・」。「ブッキングは手伝うけど、ぼくは一緒にいかないからね」。

今回の会場は原宿のVACANT。実は2010年の東京公演でもブッキングしようとしたのですが、そのときは残念ながら空いていなかったのです。今回もPAはFly soundさんにお願いしました。1年前とほとんど同じセットでしたし、エンジニアの福岡さんも彼らの特徴をよくわかっていらっしゃるので、サウンドチェックはすぐにおわるかと思いきや、結局は開場時間のギリギリまでかかってしまいました。いまさら気づいたのですが、彼らは時間があればあるだけ入念にサウンドチェックをおこなうタイプのようで、こちらから止めないかぎりはきっと永遠にやりつづけていたことでしょう。ライヴ前はちょっと神経質になるのかもしれないとずっと思ってたのですが違いました。音楽に対して真摯なだけなのですね。

予定より少し遅れて、オープニング・アクトのキム・ビールズがスタート。キムは前回と違い、アコースティック・ギターではなく、エレクトリック・ギターでの弾き語り。彼の友人である職人が作ってくれたという自慢のギターです。プレスからあがったばかりのニュー・アルバム『Tambourine Sky』からの曲を中心としたセット。一年前よりも歌声が伸びやかでよくなっていると感じました。新作もほんとうにすばらしいのです。

短いインターバルののち、いよいよタマス・ウェルズ。今回は最初から3人揃っての登場です。前回からそれほどあいだをあけないライヴ。ぼくはもちろん彼らのパフォーマンスを信頼しているので、事前にあれこれ提案することはありませんでしたが、彼らなりに変化を加えることで、オーディエンスを飽きさせないように工夫してきました。キムのエレクトリック・ギターもそうですが、タマスは今回ハーモニカを持って来ました。これまでに披露したことのない曲を演奏し、さらに多くの曲で新しいアレンジを聴かせてくれました。

スタートはなんと「Fire Balloons」。前回、sonoriumのアンコールでようやく初披露したタマス・ウェルズ史上、1、2を争う名曲を1曲目にもってきました。今回もそうでしたが、タマスってわりといつも淡々とライヴをはじめるんですよね。中盤、ささやくように歌うタマスの声にいきなりうっとりしてしまいました。

「Vendredi」を経て、「The Crime at Edmond Lake」。新しいアレンジで演奏された曲のうちのひとつですが、この曲の終盤のアンサンブルはこれまでにない高揚感を与えてくれました。正直なところ、最新作『Thirty People Away』のデモを最初に聴いたとき、個人的にこの曲の評価は高くはありませんでしたが、いまでは洗練されたタマス・ウェルズのいまのサウンドの魅力をもっとも表現した作品だと思っています。ツアーを経て、タマス・ウェルズも、タマスの曲も変化し、成長していっていることを感じさせてくれた曲でした。

「今回は新しいカヴァーも演奏するよ」と事前に聞いていたものの、何をやるかまでは聞かないでいました。楽しみはとっておきたかったですからね。新しいカヴァー2曲のうちのひとつを5曲目に配置してきました。「Moonlight Shadow」。マイク・オールドフィールドの1983年の作品。ぼく自身、この曲のことは知りませんでしたが、タマス・ウェルズの新曲だと勘違いしたひともいらっしゃったのではないでしょうか。あとで原曲をYouTubeで聴きましたが、全然違う雰囲気で驚きました。タマス・ウェルズが歌うとタマスの曲になるんですよね。

今回が初披露となった最新作のタイトル・トラックでもある「Thirty People Away」から「Valder Fields」。このタマス・ウェルズのなかでもいちばんの人気曲はいつも終盤に配置されていましたが今回は前半に持ってきましたね。「じぶんの曲でどれがいちばんすき?」っていつか質問したとき、なんかうまくはぐらかされたのを覚えています。「Valder Fields」はきっと上位ではなくて、レディオヘッドでいう「Creep」みたいなものなので、けれどタマスはいいひとなのでこうして演奏してくれるんだと勝手に思っています。正解は知りませんが(笑)

アンソニーとキムがはけ、タマスのソロに。キムのエレクトリック・ギターに持ちかえました。ライヴ・アルバム『Signs I Can’t Read – Live at sonorium』の紹介。「あのとき誰か風邪ひいてたよね?ライヴ・アルバムをよく聴いてみて。誰かの咳とかくしゃみとかいろいろ入ってるから。きょうは誰か風邪ひいてない?誰もひいてない?よかった」といういつものなごやかな語り。

「31年前のきょう、ジョン・レノンが撃たれた。この曲はビートルズの曲だよ」と言って、歌いはじめた「Nowhere Man」。そういう特別な日だからこそ、余計に胸に響きました。

「Nowhere Man」を歌い終え、彼は静かに、ゆっくりと語り始めました。

「2008年5月2日、局所的な嵐がミャンマーの隣のベンガル湾に発生して、6/9にはその嵐はカテゴリー4のサイクロンとなった。そのサイクロンはミャンマーを横断していった。最初はミャンマー南部の沿岸を直撃して、風速時速200kmもの巨大なサイクロンによって発生したものすごい津波がその地を洗い流してしまったんだ。津波は何百もの村を洗い流して、一夜にして14万人もの人々が亡くなった。

生き残った人々は洪水が迫ってくるとき木につかまったことで生き残った。朝、洪水がひきはじめたとき、そこには数えきれないほどの死体があった。ある女性はじぶんの赤ん坊を生かすために木をよじ登り、てっぺんに赤ん坊をくくりつけ木を降りた。彼女も、彼女の家族もみんな亡くなったけど、その赤ん坊は生き残り、いまも生きている。

だから、ミャンマーの人々と、日本の人々はお互いに、ほんとうに理解し合えると思う。日本の地震や津波のことを聞いて、ぼくはとても悲しかった。みんなとよく似た気持ちをぼくも持っている。次の曲は「Signs I Can’t Read」。ミャンマーについての曲だよ」

昨年、地震が起きて、ぼくが担当するはずだった来日ツアーの話がいくつも流れていくなか、そういうときだからこそ日本にいって歌いたいと言ってくれたタマス・ウェルズ。確か4月くらいのことだったでしょうか、そのときは彼のそんなことばにとても勇気づけられましたが、それは彼にとってほんとうに深い共感からだったのですね。「Signs I Can’t Read」が彼がとても大切にしている作品だということは言うまでもありません。翌日の打ち上げのときだったか、「grace」ということばのことを話していて、教会で働くキムが教えてくれました。「graceということばはキリスト教にとってとても大切なことばなんだ」と。慈悲。つまり慈しみと憐れみ。ぼくらにとっての「慈悲」とはもしかしたら意味は異なるのかもしれませんが、タマス・ウェルズの音楽にはそういった他者への愛情が根底にあるような気がしてなりません。


Tamas Wells – Signs I Can’t Read (Live at sonorium)

それにしても、タマス・ウェルズのライヴのあの静かさはなんなのでしょうね。演奏がおわって、お客さんの拍手が入るまで必ず3-5秒程度の沈黙が生まれるのです。それは2007年の最初の来日、あの金沢での公演からずっとです。どの公演でも必ず。最初は拍手が起こらなくてちょっと焦ったりもしましたが、いまではもう慣れました。他のどんなアーティストのライヴでも経験したことのない、そんな5秒間はぼくにとって世界でもっとも静かな5秒間であり、もっとも美しい沈黙の時間です。

今回のいちばんのハイライトは、間違いなく、アンコールで演奏した「When We Do Fail Abigail」でしょう。アカペラによるタマスとキムのハーモニー。途中からギターが入っていく今回のアレンジは、日本に来てから考えられ、サウンドチェックで練習はしたものの、ほぼぶっつけ本番で披露されましたが、ほんとうに美しかったです。ほんとうに。アンソニーとキムのふたりで演奏された「Melon Street Book Club」も、このアカペラも中国では演奏されていません。静かに、真剣に演奏を聴いてくれる日本だからこそのアレンジであり、そういう意味では日本のオーディエンスへのリスペクトを、こういうかたちで彼らが示したのだと言えるかもしれませんね。

今回こそは短くまとめるつもりでしたがずいぶんと長くなってしまったので、東京公演の分はこのへんで。後編へつづきます・・・。


※ライヴ中の写真はすべて三田村亮さんにお借りしました。

set list 2011.12.08 @ 原宿 VACANT
01. Fire Balloons
02. Vendredi
03. The Crime at Edmond Lake
04. Your Hands into Mine
05. Moonlight Shadow (Mike Oldfield cover)
06. Thirty People Away
07. Valder Fields
08. Fine, Don’t Follow a Tiny Boat for a Day
09. Nowhere Man (The Beatles cover)
10. Signs I Can’t Read
11. The Opportunity Fair
12. For the Aperture
13. Writers from Nepean News
14. Melon Street Book Club
15. True Believers
16. England Had a Queen
17. Lichen and Bees
18. Do You Wanna Dance (The Beach Boys cover)

[Encore]
1. When We Do Fail Abigail
2. Reduced to Clear

- Tamas Wells Japan Tour 2011 後記(後編)

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