hue and cry

Archive for the ‘diary’ Category

『Ending Music』セルフライナーノーツ

Processed with VSCO with b5 preset

「この世を去る60分前に聴く最後の音楽」
をコンセプトにしたコンピレーション・アルバム『Ending Music』。発売からすでに2週間ほどが経ちましたが、この作品の選曲者として、ディレクターとして、すこしだけ記したいとおもいます。

経営がうまくいっていない企業ならたぶん漏れなくなんらかの「企画」を考えさせられるとおもいます。この作品もそういうかんじで会社から求められて作ったものですが、構想自体は何年も前からありました。2014年に江戸川橋の水道ギャラリーで「うつくしいおんがく展」という企画をやらせてもらったことがあります。100枚のCDを展示し、そこには内容の説明はいっさい記載せずに、その作品を聴いて浮かんだことばを記しました。そのときガレス・ディクソンの『Collected Recordings』に記したことばが、たぶんこのコンピのはじまりです。そこにはこう書かれていました。「ぼくが死んだときは、これを聴いておもいだしてください。」


Gareth Dickson 「If I」。これがもともとのはじまり。

正直、実際に死ぬときに音楽を聴ける状況にはいないことは当然だとおもうので、このコンセプトに対して頭がおかしいとおもわれるかたもいらっしゃることでしょう。けど、死は人生のさいごに訪れるできごとであり、それはとても個人的で、とてもおだやかなものであってほしいというおもいから、それにふさわしいうつくしい音楽を集めました。今回はインストですが、もしかしたらいずれヴォーカルトラックでおなじ内容のコンピをつくることもあるかもしれません。当然、みずからの死の経験なんてないですし、死にちかづいた経験もほんのごくわずかなので、これはもうほんとうに個人的な作品ですが、コンセプトがじぶんの感性に合う合わないはともかく、とにかく安らかさと穏やかさを必要としているひとの60分間にとってたいせつな役割を果たしてもらえればいいと願っています。

ふつうディレクターとしてコンピをつくるときは、だれか別の選曲者がいて、楽曲の許諾など実務的なことしかタッチできません。だから、内容の企画から選曲、アートワークに至るまで100%じぶんの裁量でできるのはとてもたのしい作業でした。今回選んだ18曲は、いずれもこの10年間で関わりがあるレーベルやアーティストから借りています。条件が合わないために諦めた曲もなくはないですが、ほぼ満足のいく内容です。

ラストを飾るのはピーター・ブロデリックの「A Beginning」。このポジションはこのコンピを考えるまえからあらかじめ決まっていたと言えます。昨年の来日ツアーのファイナルのアンコールのいちばんさいごにこの曲を演奏されましたが、たぶんそのときからこの曲はこのポジションにふさわしいと思い描いていました。「この世を去る60分前に聴く最後の音楽」ですが、このコンピは実際は61分ちょっとあります。つまり、「A Beginning」の途中でこの世を去る、というイメージです。ささいなことですが。

アートワークは生平桜子さんのドローイングをお借りしました。Liricoの白鳥ロゴは鳴かない白鳥が死をまえにしてうつくにしい歌をうたうという「スワンソング」の言い伝えからきていますが、そのイメージに彼女のドローイングはとてもフィットしました。パッケージの出来上がりもうつくしいものに仕上がっているので、ぜひ手にとっていただけたらうれしいです。

なお、ウェブショップの購入特典として、Liricoのカタログのヴォーカルトラックから同コンセプトで選んだコンピ『swan songs』のCD-Rをプレゼントしています。

詳細:http://www.inpartmaint.com/site/20902/

Peter Broderick Japan Tour 2016 “Partners” 後記

haneda

昨年9月末、ピーター・ブロデリックが日本でおこなったいくつかのすばらしいライヴについて、彼と過ごした美しい日々について書き記すには少し遅すぎるかもしれませんが、あれから怒涛の日々をなんとか乗り越えてこうして振り返る余裕がでてきたのだと言い聞かせて、すこし筆をすすめてみます。

今回のツアーの計画を話し合いはじめたのはいまからもう1年も前のこと。元々は台湾のP Festivalへの出演依頼があって、そのついでに日本にも来てもらおうという流れになりました。そのときはすでにErased Tapesからピアノ・アルバム『Partners』のリリースが決まっており、「ピアノと歌」という今回のシンプルなセットはピーターたっての希望でした。

ichigayaPhoto by Takeshi Yoshimura

ピーターがサポート・アクトとして連れてきたアイルランドの女性シンガー・ソングライター、ブリジッド・メイ・パワー。大抵そうやって異性のアーティストを連れてくるときはつまりそういうことなのですが、彼らの場合、とても予想外だったのはふたりは実は夫婦だったということ。話を聞くとツアーの直前の夏に結婚したばかり。非公表なのかとおもいきや、京都公演のMCで言ってましたね。「今回のツアーは実はハネムーンみたいなものなんだ」と。

だから、たぶんこのツアーをいちばん楽しんでいたのはピーターとブリジッドだったのかもしれません。ツアーファイナルを除いて必ずアンコールの最初に演奏していたふたりのデュエットによる新曲の親密さと穏やかさを覚えていますか?とても美しいララバイはピーターの新境地です。

brigid_ichigayaPhoto by Takeshi Yoshimura

生粋のピアニストではないピーターがはじめてピアノときちんと向き合っておこなった特別なセット。一度きりかもしれない、たぶんいましかできないであろう演奏。そんなことをおもいながらぼくはそれぞれのライヴで、彼の表現するものすべて残さず記憶しようとなるべく努めました。ひとつとして同じライヴはなかったですし、実際どの公演のセットリストもちがうものでした。

flussPhoto by Ryo Mitamura

2011年のニルス・フラームとの初来日のときにみせてくれたパフォーマンスははつらつとした印象でしたが、あれから5年ほどが経ち、美と静寂とエンターテインメント性を備えたパフォーマンスに彼の成長を感じることができたのがなによりグッときました。

アルバムごと、貪欲に己の興味に従い、みずからの表現を追求しつづけてきたピーター。ひとによってはすごくとっつきにくいアーティストなのかもしれません。でも「ピーター・ブロデリックは音楽に愛されている」。それを確信できたことで、ぼくはずっと彼のすることをすべて受け止めていくのだというそんな決意を感じたのは、ルーテル市ヶ谷教会で歌ったアイルランド民謡「As I Roved Out」の圧倒的なパフォーマンスを聴いたときでした。

芯の通ったピアノの表現力以上に、シンガーとしてのすばらしさがより印象に残った方も少なくはないとおもいますが、クラシカルな感性とポートランド印の歌心の二大武器を手に、これからますます「とっつきにくい”最高の”アーティスト」になっていってくれるでしょう。
(次作はポートランドのアーティスト、デヴィッド・オールレッドと作ったヴァイオリン、コントラバス、声のみの実験的チェンバーフォーク作品です。4月発売)

okayama

最後になりましたが、改めて感謝とお礼を。Republik河崎さん、papparayray山西さん、night cruising島田さん、Club Solanin井上さん、猫町さん、moderado music岡本さん、蔭凉寺の住職さん、Fly sound福岡さん、Flussの黒川さんと小松さん、sonihouse鶴林さん、三田村さん、吉村さん、その他関係者のみなさん、そしてすべてのお客様に厚くお礼申し上げます。

台湾から東京に戻ってきた最後の夜、彼の大好物のお好み焼きを食べてから、いっしょに近所の銭湯にいったことをたまにおもいだします。もう2度とやりたくないし2度とやらないと何度でも言うけど、すばらしい音楽としあわせな記憶に日々支えられてなんとか進んでいます。またどこかで会えるといいね。

ありがとうございました。

foreversad

(さらに…)

Radical Face Japan Tour 2015ツアー後記

 
(バレンタイン・デイ、旧グッゲンハイム邸の庭にて)
 

ラディカル・フェイスのツアーがおわって、もうすぐ1ヶ月が経とうとしています。今回は書くのはやめようとおもっていましたが、何年か経ってから懐かしめるときが来るかもしれないので、ツアーのことを短めに書き残しておきます。

時をさかのぼること昨年の6月、タマス・ウェルズのツアーがはじまる数週間前のこと、ほんとうにいろんなことが起こって、「これを最後のツアーにしよう!」と考えたちょうどそのとき、(年に数回しかメールをよこさない)ベン・クーパーからメールが届きました。「また日本に行きたい」と。ぼくは「なんでよりによってこんなときに。。。」と泣きそうになりながら返事をしました。「さいこうだね。いつがいい?」と。

だから今回のツアーのはじまりはあの6月なのです。ぼくのなかではつながっていました。光明寺をブッキングしたのもそういう理由からです。

ベン・クーパーとジョシュ・リー。あのアコースティック・ギターとヴィオラ・ダ・ガンバの編成はとてもスペシャルなものでした。はじまりのメールのあと、ふたりは今回のツアーのために、新たに曲をアレンジし直し、ツアー前の数ヶ月は毎日、朝と夜2時間ずつふたりで練習を重ねたといいます。

3年前、2012年のラディカル・フェイスのツアー。驚きをもって受け止められたジェレマイアとジャックとのバンド編成の高揚感はなにものにも代えがたかったとおもいますが、今回のアコースティック編成のほうがよりラディカル・フェイスの音楽の核心に近づくことができるものだったのは間違いありません。

元々、彼らのバンドセットは海外のタフなライヴ環境においての虚勢というか対抗策だったみたいですし、「Welcome Home」でいっしょに歌って騒ぎたいだけの客がいない日本のライヴ会場の環境がいかに恵まれているのか、彼らだけでなくぼくがこれまで担当したすべての来日アーティストが認めるものです。

ベンとジョシュが出会ったのは3年前の来日ツアーがおわった直後だそうです。今回のツアーでベンが随分たのしそうにしていたようにみえたのは、ジョシュの存在のおかげでしょう。最良のパートナーを得たベンのポジティヴな変化をそばで感じられた分、ツアー全体を通してぼくは感情的に満たされていました。

(2/15 at Nui./ photo by Ryo Mitamura)

ふたりの演奏はアンサンブルということば以上に、強い絆と信頼関係を感じさせました。ヴィオラ・ダ・ガンバはヴィオラではなく、チェロ+ギターみたいな楽器だとジョシュは説明してくれましたが、より低音をカヴァーできるあの楽器のおかげで、ベンはエレキギターのディストーションは必要ないんだと言っていました。ジョシュとふたりで演奏するのはすきだよ、とも。

「演奏がむずかしいから嫌い」とかMCで言ってた「Summer Skeletons」はぼくのリクエストでしたが、初日の光明寺ではじめてみたとき、ほんとうにつらそうで、ベンに申し訳なくおもいました。「リクエストしてごめんね、でもみんなぼくがリクエストしたことに感謝するとおもうよ」なんて軽口を伝えましたが、あの原曲においてベンがヴィオラ・ダ・ガンバを必要とした理由がなんとなくわかってうれしくなりました。それは「The Crooked Kind」も同様です。

そして、「We All Go the Same」。こちらもぼくのリクエスト。初日は時間が足らず、2日目からの演奏でしたが、ヴィオラ・ダ・ガンバとヴォーカルのみの歌い出しからいきなり鳥肌がたつ美しさ。「死ぬことについての歌だよ」とベンは毎回のように説明していましたが、いつだったか、「ぼくの曲はぜんぶ死んだひとについての歌だよ」って言っていたのも印象的です。

どの公演がいいとか悪いとか、いろんな環境がちがうので比較するものでもないですが、ぼくも、ベンもジョシュも満場一致で福岡公演と神戸公演がお気に入りでした。福岡公演の会場のパッパライライと、神戸公演の会場の旧グッゲンハイム邸の親密な雰囲気が、彼らが練習を重ねたじぶんの家のリビング・ルームと似ていたからふたりともリラックスできたみたいでした。特に福岡では、「The Moon Is Down」を3回も間違えたり、ミスだらけだったにも関わらず、奇跡的な夜だったと思います(タマス・ウェルズの2010年のsonoriumの夜をおもいだしました)。ライヴ全体のすばらしさは、演奏のクオリティだけではなく、会場の雰囲気やそこに充満する感情を含めてこそだということの証明でした。

SNSでもなんでも、ツアー中あったアーティストに対する反応がツアーがおわったら消えてなくなってしまうのが毎回ほんとうにいやで。もうみんなラディカル・フェイスのこととか忘れちゃったんだろうな、とかふとした瞬間におもうじぶんの厄介さもいやですが、そうした喪失感もツアーの醍醐味です。ベンとジョシュとともに過ごした3週間もの忘れがたい時間と、彼らが奏でた美しい音楽と、彼らが残した強烈な余韻とともにこれからの数年を生きていこうとおもいます。またいつか会えると信じて。

先に書いたとおり、Liricoとして、このようにツアーを行うのは今回が最後だとおもいます。でも、またどこかでお会いできたらと。

最後になりましたが、miaouのまゆみさん、ひろみさん、浜崎さん、aoiiちゃんと野口くん、Fly sound福岡さん、光明寺の住職さん、folklore forest大石さん、hello good music今村さん、Polar Mさん、spazio rita猫町さん、night cruising島田さん、Len/Nui.宮嶌さん、Republik河崎さん、papparayray山西さん、旧グッゲンハイム邸の森本さんと佐々木さん、加藤りまさん、三田村さん、吉村さん、その他関係者のみなさん、そしてすべてのお客様に厚くお礼申し上げます。

どうもありがとうございました。

そして、ごめんなさい。

(ラディカル・フェイス『The Family Tree: The Branches』のCDの最初のページに書かれた「I’m sorry for everything」ということばのように)

(さらに…)

Tamas Wells ‘Volatility of the Mind’ tour 2014 ツアー後記

 

タマス・ウェルズの5度目となる来日ツアーがおわって一ヶ月が経ちました。今回のツアーで生まれたありとあらゆる感情、それを伝えきることができないもどかしさと歯がゆさを抱えながらもなんとか書き進めたいとおもいます。

2006年8月1日にはじめてタマス・ウェルズにメールを送ってからちょうど8年。そのあいだに5枚のアルバムと1枚のライヴ・アルバムをリリースし、5回も日本に連れてこれたのはぼくにとってなによりの誇りですし、さらにツアー中の6月28日に入社してちょうど10年という日を迎えることができた、ぼくの10年間の感情的なハイライトやクライマックスのほとんどが、彼や彼の音楽がもとになっていると言えるでしょう。

3月にリリースされた最新作『On the Volatility of the Mind』をはじめて聴いたときの戸惑いは忘れられません。この作品がもつある種の不自然な明るさは最初はカラ元気としかおもえませんでした。新境地を示す、エレクトリック・ギターとキーボードを中心とした明るい雰囲気のプロダクションと、それと反比例するかのようにより内省的で寂寥感漂わせる歌の内容。“本当に悲しい歌こそポップに歌う”と、ぼくはこの作品のキャッチコピーに書きましたが、タマス・ウェルズの音楽の核である「繊細さ」を極限まで突き詰めた結果、この作品ができあがったのだとおもいます。「心の不安定さ」あるいは「気持ちのぐらつき」とでも訳すことができる意味深なアルバム・タイトルは、のちに彼自身が述べているとおり、彼の5枚の作品すべてを言い表した言葉であり、今回の彼らの演奏によってぼくはその意味を完全に理解することができた気がします。

6/2に富士見丘教会が使用できなくなった旨の連絡を受けてから代替会場として光明寺が決定するまでの1週間については詳しくは書きませんが、まさに「Volatility of the Mind」な日々でした。そんな不運(あるいは試練)と、5度目のツアーにしてはじめての4人編成、2007年の最初のツアーにつづき、タマスの奥さんのブロンも加わること、そして上記のように入社10年という個人的な区切りもあって、今回のツアーはいつもと随分ちがいました。ツアーのあいだ、「もしかしたらこれが最後かもしれない」という予感を終始感じながら旅をしたのは今回がはじめてのことで、 世界でいちばん大切なアーティストのライヴをいちばん近くで観れる喜びよりも、もしかしたらさびしさのほうが勝っていたのかもしれません。

今回のツアーは福岡のpapparayray、神戸の旧グッゲンハイム邸、そして東京の光明寺とVacantの2公演の計4公演。バンド・メンバーはタマスに加え、2008年のツアー以来の参加となるネイサン・コリンズと、初来日となるブロークン・フライトのクリス・リンチ。さらに東京のみ、おなじみのアンソニー・フランシスが参加しました(本業(大学教授)でたまたま神戸に滞在していたため、実は神戸公演から参加予定でしたが諸事情でかなわず…神戸をブッキングしたのもアンソニーのためだったのですがね苦笑)。

ネイサン・コリンズによってもたらされた、タマス・ウェルズ・バンドとしては日本ではじめて披露されたドラム。といってもバスドラとスネア、ライドシンバルだけの簡素なドラムセットで、それらをブラシで繊細に叩いていました。ドラム以外にピアノやシンセも演奏し、またiPhoneとiPadのアプリを使ってさまざまなサウンドを提供していましたが、ドラムを叩きながらシンセを演奏したりする彼のマルチさが今回バンドを支えていたと言ってもいいでしょう。2008年に来日した際に聞いた、「タマス・バンドのバンマスはネイサン」ということを、6年の時を経て強く認識しました。

最新作において音響的な技巧やエフェクト面で貢献していたクリス・リンチ。曲においてはピアノも演奏しましたが、フェンダーのテレキャスターにたくさんのペダルを用いてエフェクトを駆使することで、ネイサンとともに、時にドローンやアンビエント的な要素を加え、タマス・ウェルズの音楽に新たな方向性を示してくれました。前回、エレクトリック・ギターを担当したキム・ビールズと比べてもギターの演奏はテクニカルで、より音響的な志向が今回もたらしたものはとても大きかったとおもいます。

さらにふたりはオープニングアクトとしてそれぞれソロで演奏もしてくれました。ネイサン・コリンズは新しいピアノ・プロジェクトn mark.として、ニルス・フラームを彷彿とさせる美しいソロ・ピアノを披露。クリス・リンチはギター弾き語りで自身のバンド、ブロークン・フライトの曲を演奏(ちなみにブロークン・フライトのプロデューサーはネイサンです)。

そして、アンソニー・フランシス。アンソニーというプレゼンスそのものがバンドの宝です。神戸公演がおわり、打ち上げすらおわった23時過ぎに会場に遅れてやってきたときのみんなの盛り上がりぶりはツアーのなかでもある意味ではハイライトでしたが、そのときアンソニーの偉大さをぼくは実感しました。この人のまわりには笑顔が生まれるのです。福岡公演、神戸公演をおえてぼくが感じた今回のタマス・ウェルズ・バンドのパフォーマンスの安定感と手応えは、翌日の東京公演の最初にいきなり演奏をミスしたアンソニーによって見事に打ち砕かれたわけですが、それでもタマス・ウェルズ・バンドには彼の存在は不可欠です。たぶん。(思えば、2010年のsonoriumでの公演の奇跡はアンソニーがもたらした部分も多かった…?)

初日のpapparayray。ずっと来たかった福岡でのライヴ。福岡公演のプロモーターRepublik:の河崎さんの最高のホストぶりは個人的にとても勉強になりましたし、福岡が初日でよかったとおもいます。古民家を改装した噂のpapparayrayもタマス・ウェルズの音楽に完璧にフィットしていました。

今回のツアーのキックオフ曲は「I’m Sorry That the Kitchen Is on Fire」。この曲からのスタートはすこし意外(調べたら意外と前回のツアーではこの曲を演奏しなかったんですね)。ライヴでは1stヴァースのあと、アンソニーがハンドクラップをするのがこの曲の決まりだったのですが、そのパートがドラムにとって代わられていたのを聴いて、いきなりぼくは異様に感動したのです。2007年の来日のときから何度も聴いてきた曲が生まれ変わったかのような、あるいはどんどん成長していくような。それは「Lichen And Bees」などの定番曲でもおなじです。10年近くものあいだ、同じ熱量で、同じバンドを追いかけることは後にも先にもないとおもいますが、今回のツアーでは「タマス・ウェルズを好きになってよかった」と感じる瞬間がなんどもなんども訪れました。

新しい曲をおぼえたら古い曲を忘れてしまうタマスですが、たまに古い曲が甦ることもあるようです。今回は「The Northern Lights」がそれでした。今回のツアーではバンジョーを使わないとあらかじめ聞いていて、この曲も演奏しないものだとおもっていたので、とてもうれしい驚きでした。2008年以来、ひさびさに演奏される名曲。

最新作『On the Volatility of the Mind』から演奏されたのは7曲。「Bandages on the Lawn」「I Left That Ring on Draper Street」「Benedict Island (Part One)」「I Don’t Know Why She Burned up All Those Greylead Drawings」「Never Going to Read Your Mind」「The Treason at Henderson’s Pier」、そしていずれの公演でもラストかラスト前で演奏していたシングル曲「A Riddle」。ぼくがいちばんすきな「An Appendix」は残念ながら演奏されなかった(2010年に「Thirty People Away」を演奏しなかったのとおなじ理由?)。

初日の私的ベストはタマスがピアノを弾いた「Signs I Can’t Read」から「Melon Street Book Club」。タマスのピアノ弾き語りというと2010年のsonoriumでの名演(ライヴ・アルバム『Signs I Can’t Read』で聴けます!)ですが、あれ以来の披露となりました。いずれの曲でもクリスとネイサンによるアンビエント・ノイズもとても効果的で、ヒリヒリとした緊張感と恍惚さがあわさった最高の演奏でした。

2日目の旧グッゲンハイム邸は2012年にダスティン・オハロランのツアーで使用して以来。間違いなくタマスの音楽にふさわしい会場だと確信していましたが、予想以上でした。この日はプロジェクターを用いて、最新作のアートワークの元になった「Fossil Fish」をアレンジしたイメージのヴァリエーションを天井に投影。曲ごとに別々のイメージがフェイドイン・フェイドアウトしていくというもの。

今回、すべての公演がちがうセットリストでした。日本の前は中国ツアーだったのですが、中国での4公演はすべておなじセットだったとのことで、ぼくがちがうセットリストを希望したからということもあるとおもうけど、気をつかってくれてうれしい。ライヴ前にみんなで真剣にセットリスト会議を行っていたのが印象的でしたが、セットリストがちがうだけで随分とライヴの印象が変わるんですよね。

「新作から1曲」と言って演奏した「I Don’t Know Why She Burned up All Those Greylead Drawings」。オリジナルよりもやさしく静かに歌うライヴ・ヴァージョンは鳥肌が立つほど美しかったです。この日は福岡よりもMC少なめでライヴは進んでいきました。「きょうMC少なかったね」とあとで言ったら「いつも迷うんだよね。お客さんがMCも聴きたいのか、曲をたくさん聴きたいのかって」とのこと。「きみが言うことならMCも曲もみんなどっちもうれしいとおもうよ」。

この日の「復活した昔の曲」枠は「Grace And Seraphim」。ぼくがタマス・ウェルズの曲のなかでいちばんすきな歌です。彼が第二の故郷ミャンマーに捧げたアルバム『Two Years in April』のラスト曲。自分を投影した少女が死に、彼女の葬式について歌った儚いレクイエムです。『On the Volatility of the Mind』の雰囲気が『Two Years in April』に似ていると感じたのはアルバムをしばらく聴いてからだとおもいますが、間接的か直接的かのちがいだけでいずれも自分の死と孤独について歌っているのです。「Grace And Seraphim」は「Signs I Can’t Read」と同様に、タマスがとても大切にしている曲であり、だからこそことあるごとにアンコールで歌われてきました。そして、たぶんこの曲だけはこれからもバンドで演奏されることはきっとないのでしょうね。

東京公演の1日目は光明寺です。このすばらしい会場を紹介してくれ、また東京2日間にわたりすばらしい音響を提供してくださったFly soundの福岡さんには感謝しきれません。教会から寺へ。「教会も寺もやったから、次はムスリムのモスクかな」とタマスもジョークを飛ばしていましたが、彼のような繊細な音楽にとっては会場選びはとても重要です。富士見丘教会じゃなくなったから、という理由での予約のキャンセルも残念ながらいくつかありましたが、ポジティヴにとらえるならぼくの会場選びがそのひとにとってはとても正しかったということ。教会だろうと寺だろうとモスクだろうと、どこであろうとタマス・ウェルズのライヴを観るなら日本で観るのがいちばんしあわせだとおもいますよ。そう信じてぼくはいつも選んでいます。

結果的に光明寺のライヴはあの伝説的なsonoriumの夜を越えたとおもいます。神戸公演も最高でしたが、この日は個人的にほんとうにベストでした。クリスがピアノを弾いた「Vendredi」の静かなオープニングにつづいては、ネイサンとアンソニーが加わっての「The Northern Lights」。前述のとおり、いきなりアンソニーが演奏をミスして先がおもいやられましたが、その後は目立ったミスがなかったことは幸いでした。彼のミスのことばかり書くのもあれなのでフォローも。この「The Northern Lights」もそうですし、「I’m Sorry That the Kitchen Is on Fire」「The Crime at Edmond Lake」「For the Aperture」など4人での厚みのあるサウンドはほんとうに見事であり、圧巻でした。富士見丘教会は音量的制限があったので、その点では光明寺に会場が代わってよかったと言えるでしょう。

タマスが奥さんにプロポーズしたら「I don’t know」と答えられたという経験をモチーフにした「Benedict Island (Part One)」はアルバムのなかで2番目にすきな歌。この曲と、「I Left That Ring on Draper Street」という新作からの2曲がとてもすばらしかったです。特に「Signs I Can’t Read」と同様のピアノ弾き語りによる「I Left That Ring on Draper Street」はいずれの公演でも怖いくらい背筋をぞくぞくさせるほど美しく儚い演奏でしたが、この日はほんとうに格別で、今回のツアーのベストソングだったかもしれません。「Signs I Can’t Read」のようにネイサンとクリスに加え、アンソニーもキーボードでアンビエント・ノイズを作り出していました。「Sorry」という歌詞でおわるこの曲のあとの余韻と、タマスの振り絞るような「Thank you」は忘れがたいです。「Draper Street」はタマスの故郷であるジーロングに実在する通りの名前。悲しみを漂わせるこの歌詞の真意について、結局最後までタマスにもブロンにも訊けなかったままだけど、いつか訊いてみたいです。

ツアーファイナルは2011年の前回につづき原宿のVacant。ツアーファイナルは毎回いちばんすばらしい内容になる傾向がありますが、この日はいささか不運でした。開場時間の30分前ぐらいに東京を襲ったゲリラ豪雨。ちょうどサウンドチェック中でしたが、あまりの雨に通路の屋根が壊れるかとおもったくらいでした。その後、すぐに雨はやんだものの、壁の外から雨漏りとおもわれる音がライヴ中も絶え間なく聴こえてくるという苦難。観客はもちろん、演奏するほうにとっても耳障りだったとおもいます。天災なのでしかたないことではありますが、とても残念でしたし、お越しいただいたみなさんにとても申し訳なかったです・・・。

今回のツアーで驚いたのは、「When We Do Fail Abigail」「Reduced to Clear」という、最初のツアーから毎回演奏していた1stアルバムからの定番曲2曲を演奏しなかったこと。前回はいずれもアンコールで演奏していた重要曲。この夜、唯一演奏された「Broken by the Rise」を除いて、1stアルバムの曲がついにセットリストから姿を消したのです。1stアルバムのリリースからちょうど10年。みんな次に進んでいくのですね。

言わずと知れたタマス・ウェルズの名曲「Valder Fields」。ぼくはこの曲が完璧に演奏されるのを、この曲の完成形を聴きたいとずっとおもっていました。彼らもこの曲が代表曲だという自負があるせいか(おもにアンソニーのせい…)、これまで完璧に演奏されることはなかったと個人的にはおもっていました。でも今回のツアーではそれが聴くことができたとおもいます(数えたらこれまでに計21回も聴いた)。特にVacantでの「Valder Fields」は最高でした。「ぼくらの生活にはふたつの部分があって、ひとつは理性的で思慮分別がある部分と、一方は非理性的な部分があるとおもうんだ。そんな別々の場所について考えたときに自然発生する場所をValder Fieldsと名付けた」というかんじで彼は説明していましたが(そしてこの曲について説明するのは今回のツアーがはじめてのこと)、それってつまり「Volatility of the Mind」ってことですよね。

(個人的には、最後ダブル・アンコールがもしあれば演奏される予定だった「Grace And Seraphim」を聴けなかった悔しさをぼくは一生忘れないでしょう)

作曲家のマイケル・ティルソン・トーマスの講演の映像を繰り返しみていた時期がありました。そのなかで彼はこう言っています。「音楽鳴り止んだときになにが起こるのか?人々の心になにが残るのか? 音楽が無限に存在するこの時代になにが心に残るのか?」。ぼく自身が演奏をするわけでもちろんはありませんが、ライヴを企画するものにとっても、この大きな疑問からは逃れられません。ライヴから一ヶ月経ち、すでに記憶から失われてしまったひともいるかもしれません。それでも、ぼくにとってはきっと一生残りつづける大切な記憶です。あの日、あの夜、彼らが奏でた音楽が、できるだけ長く、観ていただいたみなさんのなかに残ってくれたらいいな、とおもいます。

すべてのお客様や関係者のみなさまのおかげですばらしいツアーにすることができました。まるで観客ひとりひとりに語りかけるようにやさしく歌うタマスのように、すべての方々に、ひとりひとりこころから感謝を伝えたいぐらいです。どうもありがとうございました。なによりいまの彼らの最高のライヴを観てもらえたことがうれしくてたまらなかったです。そして、やっぱり、いま、かなしくて、さびしいです。

ありがとうございました。
 
 

(さらに…)

2190 days

2006年10月15日にタマス・ウェルズの『A Plea en Vendredi』をリリースしてから6年が経ちました。そのころにはまだ名前のなかったLiricoというレーベルのこの6年間は言ってみれば「the way what i am」というか「the way how i am」というか。とにかく、リリースされた作品の一貫性をぼくは誇りにおもいます。そして、Liricoの作品やライヴを観たり聴いたりしてくれたすべての方々にお礼を申し上げます。

次の新たな1年のことをおもっても、まったくなにも見えませんが、The Leisure Society「The Hungry Years」の歌詞を引用すると、「We’ll all get somewhere somehow(なんとかしてどこかへたどり着くだろう)」。かなしい歌とともに。

You are currently browsing the archives for the diary category.