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Tamas Wells 『Thirty People Away』 セルフ・ライナーノーツその2「True Believers」
True Believers
欧米人には奇妙に思えた。
ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダ、あるいは他の大きなパゴダに行ったら、きらめくカラフルなネオンライトにかこまれた仏像を見かけるのは普通のことだ。
ぼくらにとっては、きらめくカラフルなネオンライトはファーストフードや怪しげなバーや、最低の消費文化に共通する最悪の景観を連想させるものだ。
でも、ミャンマーにある仏堂の多くでは、なにやらネオンライトが経験の意義を(品位を落とすよりもむしろ)強めていた。シュエダゴンから丘をくだる途中で、ネオンライトで光る小さなプラスティックのブッダを買うことさえできるだろう。
ぼくにはそれが奇妙に思えたが、ミャンマーのひとびとにとっては、ぼく自身の文化がいろいろと奇妙に思えることもあるのだと感じはじめていた。肉を食べたり、イエスの血を飲むというキリスト教の教義とシンボル(たぶん驚くべき意味をもったものだろう)が明らかに額面通りに奇妙な考えなのだ。
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丘に囲まれた鎌倉は東京の外側にある自然の要塞で、有名なサムライの源頼朝が約900年前に建立した。
数世紀のあいだで日本の歴史のなかのあらゆる陰謀によって人気がなくなっていったが、1889年、エッフェル塔が建てられたのと同じ年、東京から鎌倉への線路が開通し、すぐに大きな観光都市となった。
2008年の夏、ぼくらは電車(1889年から何度かアップグレードされたであろう)で鎌倉まで行った。午後、いくつかの驚くべき寺を見てすごし、ぼくらの日本のレーベルLiricoのシンと、彼の兄のヨウヘイとブラブラした。
その夜はちいさなすばらしいフランスびいきのカフェ(日本ではそういうところはいくらでもあるように思える)、カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュでのライヴだった。カフェのバックルームでぼくらは立っていた。シンがオーディンスにぼくらのことを紹介しはじめていた。待っているあいだ、ぼんやりと適当なギターコードを弾いて、それに合わせてメロディーを歌いはじめた。
完全にうまくいきそうな気がしたけど、そのときオーディエンスが拍手をはじめて、ネイサンがぼくをステージへと押し出した。
(原文はこちら)
Tamas Wells 『Thirty People Away』 セルフ・ライナーノーツその1「Thirty People Away」
ミャンマーでは4月のなかばに「ThinGyan」というミャンマーの正月を祝う大きなお祭りがある。
ヤンゴンにおいては、何千人ものひとたちが車で囲んだり、通りに面した大きなステージに立って、互いに水をかけ合う。バケツいっぱいの水をかけるひともいれば、庭のホースを使うひとまでいるけど、高速の消防ホースがもっとも評判がいい。いちどに数人のひとたちを倒すことができるから。
その日は一日中、ミャンマーの有名なシンガーやムービー・スターが通りに面した大きなステージでチャイニーズ・ポップをミャンマー語に翻訳したうたを歌い、ひとびとは春巻きを食べ、いちばん人気のあるステージに入るために列に並ぶ。
昨年のお祭りで、ある男がカンドージー湖に設置されたミュージック・ステージ(このお祭りでもっとも人気のある場所のひとつ)まで歩いてきた。何千もの人ごみに押し入ったその男は、爆弾を爆発させたのだ。
そのときぼくらは家にいた。30分後、電話が鳴り、ぼくらのミャンマーの友人がそのときカンドージー湖にいたことを伝えた。
彼は無事だったが、爆風を感じ、そこから逃げるときに地面に横たわった死体を見たらしい。
彼は言った。爆発があった場所からたった30人ぐらいのところに彼はいたと。
(原文はこちら)
Tamas Wellsショート・フィルム『the houses there wear verandahs out of shyness』オンライン上映!
タマス・ウェルズのミャンマーでのレコーディングを中心にインタビューを交えて彼の日常を切り取ったドキュメンタリー・ショート・フィルム『the houses there wear verandahs out of shyness』。
彼の友人でもあるイタリア人映像作家ファブリツィオ・ポルペッティーニによるこの作品はタマス・ウェルズの先日の来日公演で先行上映しました。そして、今回、期間限定でのオンライン上映が決定!12/24 20:00〜1/16 20:00までの公開となります。タマス・ウェルズからのささやかなクリスマス・プレゼントということにしておいてください。*現在はすでに完全公開しています。
作品のクレジットはオフィシャル・サイトをご覧ください。
『the houses there wear verandahs out of shyness』オフィシャル・サイト
作品はタマスのモノローグで始まります。前作『Two Years in April』のコンセプトをそのままなぞった“オーストラリア人の少女に訪れたある悲劇”。外からの騒音や停電などのさまざまな要因に邪魔をされながら「Fire Balloons」のレコーディングを試みるタマス。CDで聴けるものとは別のデモ・ヴァージョンは貴重です。「Fire Balloons」の他にも「An Extraordinary Adventure (of Vladimir Mayakovsky in a Summer Cottage) 」のデモ・ヴァージョンも演奏されています。
彼が語るミャンマーに移住した経緯と、ミャンマーに対する愛。
「長く住めば住むほど、ますますこの国のいくつかの問題に巻き込まれていったけど、ますますここの人々 と一緒にいたいとも思うようになったんだ」
「オーストラリアでのめぐまれた環境にはどこか満足できないものがあったんだ・・・ぼくらにとってはね」
そう語る彼はこれからヤンゴンに住みつづけるのでしょう。まさに第2の故郷。そして、タマス・ウェルズの音楽が生まれる街。「戦いの終わり」を意味する名のこの街で、どのようにして、あれほどまでに美しく悲しい歌が生まれていくのか。それを垣間見せてくれるこのショートフィルムはとても有意義なものだと思います。タマス・ウェルズのファンだけでなく、より多くの人に観てもらいたいものです。
なお、この作品はクリエイティヴ・コモンズ・ライセンスのもとに製作されています。クリエイティブ・コモンズ・ライセンスのうち、表示(Attribution)、非営利(Noncommercial)、改変禁止(改変の禁止。No Derivative Works)の項目が付与されており、作家はこの作品がインターネット上で自由に閲覧配布されることを望んでいます。今回は期間限定ですが、おいおいは完全公開される予定です。
Tamas Wells Japan Tour 2010 後記(後編:12/5東京)
12/5早朝の京都。ぼくだけ御所近くにあるいとこの家に泊まっていたため、30分ぐらいかけてゆっくりと彼らが泊まるホテルまで歩きました。
烏丸通を南へ。しばらく歩くと2008年のツアーで使わせてもらったFlowingの前を通り過ぎたため、いろんな思いが交錯して変な気分になるも、気がかりだったのはタマスたちのコンディション。最終日なのでなんとか乗り切って欲しいな、と。 (さらに…)
Tamas Wells Japan Tour 2010 後記(中編:12/4京都)
最初にタマス・ウェルズと今回のツアーの話をしたとき、ブッキングはぼくに任せられていたのだけど、スケジュールの問題でタマスからの要望には関西での公演は含まれていなかったことをまずは正直に告白しておきます。
(さらに…)
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