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FEATURE


egil olsen INTERVIEW

●現在はオスロに住んでいるそうですが、出身地はどこですか? できればどんな場所で生まれ育ったのか教えてください(人口や景色など)。

オシュタという、ノルウェーの西海岸にある小さな町の出身だよ。山々とフィヨルドがあるノルウェーの典型的な町さ。

●また、あなたはそこでどんな少年時代を過ごしましたか? 影響を受けた音楽やアーティストは誰ですか?
 

ぼくには兄と姉がいて、兄はエルヴィス・プレスリー狂(しかもモノマネも)で、いつも家ではエルヴィスがかかっていたんだ。姉は80年代のありとあらゆるヘアバンドの音楽をぼくに見せ、キスが最初のほうに熱中したバンドだった。また、ストリートには何人かのロックボーイがいて、ジューダス・プリーストとかマノウォーとかワスプとかいったヘヴィーメタルにぼくを誘ったんだ。ぼくは父さんのテープを聴くのも楽しんだものさ。彼はかつてトラック・ドライヴァーで、たくさんの良いトラック・ミュージックを持っていたんだ。もう少し年を取ってからは、ナイン・インチ・ネイルズとかイールズ、ベック、エリオット・スミスとかの新しい音楽を発見したんだ。ぼくはいままで特定のジャンルのファンだったことはなくて、いつもあるアーティストや彼らの曲により興味があったんだ。

●初めて曲を書いたのは11歳だそうですが、音楽を作り始めたきっかけを教えてください。

兄が音楽学校に通っていたから、ぼくの家にはオルガンがあったんだ。彼は教えようとしたけど、ぼくは習いたがらなかったんだよ。ぼくはいつも自分のやり方で行いかったし、それでいつも自分のお気に入りの曲の弾き方を見つけていたんだ。ぼくが最初に書いた曲は「coke」と言って、今日演奏してみたら全然違うものだった。「coke」はもっとコカコーラのCMみたいだったのにね。本当のアーティストとしてのキャリアが消えて行くときは、最後にはCMのジングルみたいなものを作るのがもっと普通なのに、ぼくは最初にそんなものを作っていたんだ。10代の初期のころは、兄が4トラックのカセットレコーダーを買って、彼のエルヴィスもどきの歌を録音していたんだけど、ぼくは彼のヴォーカルを取り除いて、新しいクレイジーで馬鹿げたリリックを書いて、自分で録音したりしていたんだ。ぼくが知っている音楽を作る人たちはみんな怖いロックンローラーか、かっこよく気取った学生ぐらいしかいなかったから、自分がミュージシャンになれるなんて考えたこともなかった。


●ソロとして活動する以前の名義「Unkle's Institute」について教えてください。


ぼくは昔ジャムで一曲演奏したあとにほとんどバンドを始めるように追い込まれたんだ。もう何曲か自分の好きな曲を書いたときに、音楽を作っているときがとても気持ちいいことに気づいたのさ。ぼくには言葉に込めたいものがたくさんあるように感じた。何人かの別の人たちと一緒に演奏して、バンドをやるのはよそうと思ったんだけど、ある機関で自分の必要な、あるいは自分が一緒にやりたいと人たちをバンドに加えて、ぼくのの曲を録音することができたんだ。

ぼくは自分の車を売って、ホームレコーディング・スタジオを建てたんだ。そこでぼくの1stアルバムになる曲ものをレコーディングした。そこで始めて録音した曲がラジオで流れて、ぼくは気づいたらまじめなレコード・レーベル・ミーティングのなかにいたんだ。結局はオスロの小さなインディーレーベルからデビューアルバムをリリースしたんだけどね。物事はうまくいかずにそのアルバムはたった数ヶ月しか売られることはなかったんだ。ぼくは自分のレーベルを始めて、何枚かのEPと別のアルバムをリリースした。4年間で30人くらいのミュージシャンがuncle's institutionに参加して、「brand new fool」と「walkie talk to me」という2枚のアルバムをリリースしたんだ。

●どうしてソロとして再出発することになったのかその経緯を教えてください。

何もしたくないと思って何ヶ月間か旅に出たんだ。別のアルバムを作るなんてアイデアは全く魅力的じゃなかった。ぼくは自分のハリウッド・ドリームをかなえるためにカリフォルニアを旅した。それで結局、ギター一本で何度かパフォーマンスを行ったんだ。とても楽しかったよ。uncle's institutionではいつもサウンドとトリックの陰に隠れていたからね。そうするのも楽しかったんだけど、ひとりで自分の曲を演奏したとき、実際オーディエンスはぼくが歌っていることを聴いてくれて、反応してくれたんだ。ぼくはそうやってひとりでライヴをいくつか行って、たくさんの新しい曲を書いた。このレコードにもそんなかんじを残したかったんだ。最後にはこの正直でありのままにいる自分をuncle's institutionと呼ぶのが正しいとは思わなかった。だから、ぼくはエギル・オルセンという本名でやっていくことを決心したんだ。

●以前と現在では歌唱法が変化していますが、ファルセットで歌おうと決意したきっかけは?

ぼくは自分の声そのものを使おうとしているんだ。たとえ何を歌おうとも、レナード・コーエンでもラムシュタインであってもね、いつもファルセットでハミングしていたから、1〜2オクターヴ高いファルセットで歌う傾向があるね。なぜかは分からないけれど。普通のしゃべり声も使ってるけど、ぼくのメロディーは時々音程がとても広いから、叫ぶか、ファルセットで歌う必要があるんだ。普通はファルセットだけど。

●あなたの歌詞を読むとパーソナルの中に孤独感を強く感じます。そして、過酷な世界(Cruel World)に果敢に立ち向かおうとする姿も。昔と今では歌詞の書き方も変わったのですか?

『i am a singer/songwriter』では、よりパーソナルなものにしようとして、アーティストとしての自分自身のことをとてもダイレクトに書こうとしたんだ。だいたいはレコーディングの前にリリックを書くんだけど、今回は全部ギターと一緒にラップトップとか紙に書いたんだ。

●ファーストアルバムに「Little Green Aplles」のカバーを取り上げようと思ったのはなぜですか?

この曲はぼくが小さいころからずっと一緒だったんだ。もう何年もライヴで演奏してきたから、それをもっとたくさんの人たちとシェアしたかった。世の中には素晴らしい曲がたくさんあるから、それらを生かし続けて、その評判を広めるというアイデアをぼくは気に入ってるよ。

●あなたの周辺のノルウェーの音楽シ ーンについて教えてください。昨年のSt.Thomasの死は本当に悲しかったです。

セント・トーマスのことは個人的には知らないんだけど、若い才能がそうやってこの世を去るのはいつも悲しい。多分、アーティストとしての主に素直さによると思うんだけど、ぼくらはいつも比べられた。ノルウェーの音楽シーンはこんな小さな国にしてはとても巨大なものなんだ。国内や海外のたくさんのバンドやアーティストがツアーをするし。たくさんの大小、素晴らしいライヴの会場があって、音楽に対する興味は驚くほど大きいんだ。たくさんのインディー・レーベルもあればもっと大きくて商業的なレーベルもあって、ロックからジャズ、エレクトロニカから教会が燃えるようなブラックメタル、シンガーソングライターからポップスまで、ヴァラエティーに富んだ音楽をリリースしているんだ。


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